歴史検定日本史2級自己採点と試験雑感

昨日実施された歴史能力検定の解答発表がありましたので僕もさっそく自己採点してみました。僕が受験したのは日本史2級です。終わった直後の手応えとしてはかなり悪かったのですが・・・。

結果は76点(100点満点)でした。合格基準が6割以上みたいなので一応合格ということになりますね。よかった~。

では大問別に試験雑感でも書いていきたいと思います。

大問1(16/20)

大問1は原始・古代の日本列島に渡来した人々に関する文章を読んで問に答えるというもの。10問中8問正解しましたが自信があったのは3問程度だったのでよく8問も正解出来たなというのが正直なところ。

間違ったのはいきなりの問1。最初からよくわからなかったですね。適当に選びました。あと間違ったのは問6の記述問題です。昨日も書きましたが鞍作鳥の「鞍」の字が書けませんでした。

全体的に知らないってことはなかったのですが、記憶があやふやなところが多かったですね。勉強を始めたのが11月頭でその直後くらいに読んで以来見ていない時代だったのできつかったです。

大問2(18/20)

大問2は中世の唐物に関する文章を読んで問に答えるというもの。今回の大問別では最高の18点でした。ただここも大問1よりは手ごたえはありましたが、それでも半分くらいしか自信はありませんでした。

間違ったのは問8。「武蔵国(ア)荘金沢の別邸内・・・」の(ア)に入る語句を答える問題。見たことはあるなと思いましたが最初③を選び、最終的に②に変更。結局どっちも違いましたね。

あとは知識としてあやふやだったのが「平家にあらずんば人にあらず」を言ったとされる人を答える問題。何かで見たことはあるんですがイマイチ思い出せず。なので史料と選択肢から推察。史料に「入道相国のこじうと」とあるので清盛の奥さんの兄弟ということになりますね。なので①は聡明で有名な清盛の嫡男なのでx。②は清盛のじいさんだっけ?と思いながら一応保留。③は何となくこれのような・・という感じで保留。④は清盛の叔父なのでx。

ということで②③に絞って最後は②は清盛のじいさんか父親だろうと思い③としました。まぁ、知っていれば瞬殺なんでしょうけど史料や選択肢から推察して答えられると何か気持ちいいですね。

大問3(12/20)

大問3は加賀藩と薩摩藩に関する文章を読んで問に答えるというもの。大問別では最低の12点でした。ここは戦国時代から幕末までだったので割ととれるかなぁと思っていたのですが想定外に悪かったです。

間違ったのはまず問2の記述問題。漢字5字ってヒントはありましたが十返舎一九くらいしか思いつかず(笑)。さすがに時代も違うので何も書きませんでした。次が問5。木下順庵がどこの系統に属するかという問題。何かテキストで図は見たことはあったのですが思い出せず、結局④にして不正解でした。次が問7。これができなかったのが痛かったですね。①②は幕末の人物なので即却下。③の家久は④の義久の弟だと思って却下したんですよね。家久は早くに亡くなっているので1609年にはすでにいないはずと思い、④にしました。でもこの家久は鬼島津こと島津義弘の息子忠恒のことだったとは・・・。そういえば家久は2人いるようなことは今になって少し思い出しましたが、試験中は全く気づきませんでした。あと義久の時代はまだ藩主ではなかったんですね。これがわかっていればもしかしたら③を選べたかもしれませんが、いずれにしても家久といえば島津四兄弟の末弟のイメージが強すぎたなぁ。

そしてあと1問間違ったのは問8。宝暦年間がそもそもいつかよくわからず、②の天保年間におきた大塩平八郎の乱以外は選択肢を切ることができませんでした。結局適当に④を選んで不正解でした。

大問4(16/20)

大問4は近現代の横浜について述べた文章を読んで問に答えるというもの。このあたりはテキストで2、3日前に読んだ時代になるのでまだ記憶には残っている箇所が多かったです。ただやはり段々時代が近くなるにつれ細かくなってくるのであやふやなことも多く出てくる箇所ではありますね。

間違ったのはまずは問5。これは③④はすぐに消去できましたが①②で迷って②を選んで不正解でした。重工業の生産額が軽工業の生産額を上回った記述はテキストのどこかで見た記憶はあったのですが年代まで覚えてなかったです。

次が問6。①②は正しいとすぐわかりましたが、③④で迷って結局③にして不正解でした。④は翼賛政治会ではなく大政翼賛会ですね。

あとは正解しましたが問4や問8あたりは勘に近いですね。この大問では問3の甘粕事件を思い出せたのがよかったかなと思います。

大問5(14/20)

大問5は昭和時代を中心に政治家として活躍した近衛文麿に関する文章を読んで問に答えるというもの。ここは7問正解でしたがわりと実力通りかなと思います。正解した問題はだいたいあってるなと試験中思っていましたので。

間違ったのはまず問2。菊池寛は「文学界」創刊だと思ってましたので普通に間違えました。次が問3の記述問題。西田幾多郎の書物を答える問題。答えは「善の研究」なのですが、言われてもピンとこないので知識として全くなかったのでしょう。あとは最後の問10。①③はすぐ消去できましたが、②④で迷いました。戦犯容疑者というヒントはあったものの知らなかったですし、「1950年代から1960年代にかけて首相として・・・」とあったのですが、僕の記憶では1950年代が鳩山一郎、60年代が岸信介というイメージがあったので答えが絞り切れませんでした。結局②の鳩山一郎を選んで不正解でした。

総評(76/100)

ということで点数は76点でした。試験後の手応えからすると不合格もあり得るなと思いましたがそこそこ点数はとれていました。ただ、上でも書いている通り、結構勘が当たった問題もあったので実力からするとギリギリ合格できるかどうかというレベルでしょうね。

今後は1級を目指していきたいと思いますが、このままでは全く歯がたたないのでやるならもっと早くから勉強を始めないとダメですね。あとは世界史のほうも3級くらいから受けてみたいですね。

点数的にはまだまだですがとりあえず合格できそうなのでそれについてはよかったのではないかと思います。